メンバーからこれまで開催されたイベントのレポートを募集しました。
今回は、昨年行われた「Check in Counter Culture」 について、中野努さんが書いてくださいました!
2019年1月19日~2月11日にあいちトリエンナーレ地域展開事業「Windshield Time − わたしのフロントガラスから − 現代美術 in 豊田」の参加作品として開催された「Check in Counter Culture」 のレポートです。普段、文章など書かないですが、皆さんのハードルが下るよう、書いてみました。(レポートではなく1作品の感想みたいになってしまいましたが…)
HYBRID BUNKASAIなどと違い、今回のTPACでの展示、イベントは期間も長く豊田市駅周辺の展示と合わせて堪能することができました。そのなかでも特に印象に残ったのがディレクターのNadegata Instant Partyさんの作品《マルチメディアバーチャルラボ》です。
簡単に表現すると巨大な「手」から2人の人が逃げている映像作品です。必死に逃げているのですが、楽しくコミカルな表現になっており、走ったり、紐(ロープ?)を登ったり、仲間を蹴落としたりと思わずクスッとなります。最後はこれまたコミカルに、ガッツポーズ風(体操風?)な動きで終わるのですが、ここからは個人的で勝手な深読みです。
まずは逃げる!!
何から?
逃げる2人を主体に考えると「手」という悪や負のエネルギーから逃げている印象になります。最後は笑顔で終わっているのでおそらく逃げ切ったということだろう。
2人が主体でも、悪事を働き正義から逃げているということも考えられる。この場合は犯罪成立である。
他にも危険から身を守る為に、逃げているとも考えられる。(交通事故や自然災害)
悪夢や借金取り、UFOもあるかも。
追いかける「手」を主体と考えると、逃げている2人が悪であれば「手」は正義となる。又は仲間割れにより悪が悪を追うパターンかもしれない。
しかしここでは「手」という捕食者が食料を追い求めるパターンから想像したい。自然界、動物界では主に小さい者が大きい者に食べられる弱肉強食の世界である。ここでの「手」は自然、地球となり、愚かな人間を追い求め、捕食するさまは、巨大なエネルギーに文化、文明が飲み込まれる遠い未来を暗示させる。
話はもどり、何処へ逃げるのか?
2階の角部屋であり、行き止まりである。(建物は4階建てだが展示は2階まで)
さらに映像は浴槽という囲まれた場所に映されることで行き詰まり感が大きい。絶体絶命である。紐(ロープ?)を登る姿は「蜘蛛の糸」を連想させるし、一緒に逃げる仲間を蹴落とすシーンでは何が正しく正義なのか、自身の身を守ることが正しいのか、本当に自己犠牲の精神は望まれるのか、深く考えさせられます。そしてやはり、水が空気にならない限り逃げ場はない…
結局は「手」が何を表し示すのか?ということに対する個々の考えが作品の見方、解釈になると思います。現代美術の展示の参加作品として開催されたこと、ディレクターのNadegata Instant Partyさんの作品であることから、この「手」は常識や既成概念ではないかと考えます。「逃げる」というよりは「とらわれない」ことを目指し、過去に積み上げてきた実績や考えはリスペクトしつつ、自由に発想し、新たな物事を築き上げていく、そのような願いや希望が込められていると思います。
そしてここで、手前入口側のコミカルな映像作品(タワシや卵の黄身、白身)のセリフが心に響きます。自主的、自立、あるいは自律は本当に難しい。
「私はわたし…」
そして作品ではないですが印象に残ったのが上坂さんの五平餅。初めこそ懐かしいと思い食べていたのですが、いつのまにか行列に整理券という大人気!本当に先が読めない展開でした。
他にも様々な展示、ワークショップがあり、自由な雰囲気のなか、型にはまらず楽しもうという会場になってました。幸運にもヘッドセラピーをしてもらったり、NAKAIEさんに似顔絵を書いてもらったり、(タイムテーブルには予定なかったですが)陶芸体験ができたりと展示以外のワークショップも参加でき、楽しめました。
TPACが使えなくなるのは残念ですが、また別の新たな楽しみが待っているのだと期待してます。
個別に紹介できなかった皆様、申し訳ありませんでした。
今回のレポートはここまでです。
中野 努
3年前に美術にハマった初心者の素人です。自分でも驚くほどのハマりっぷりですが、詳しいことも基本も何もわかってません(笑)
豊田市内の飲食店で働いてます。