Recasting Club

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Recasting Club is..
members’ column vol.1
text : なかやましょうご(このよのはる)
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Recasting Club メンバーのコラムをご紹介します。
「出会い」をテーマに募集しました。

「わたしとアートの出会い。」  このよのはる、このよ。(なかやましょうご)

わたしがアートと出会ったのは、中学生の頃です。
学校の授業でした。 美術の先生は、授業中にヒーリング音楽を流していて、わたしはそっちのほうに興味がありました。
授業は、明朝体とか、フォントの授業で退屈でした。
音楽をきいていると、集中ではなく眠気との戦いでした。
眠れる音楽ってあるんだと13才のわたしは思いました。
先生のところへいき、CDを借りました。アーティスト名は忘れました。
そのうち学校にいかなくなり、次の美術は高校に入学してからでした。
はじめて油絵というものに触れました。 油絵って、水が油になっただけじゃんと思って、油を水みたいに使って絵を描いていました。
先生は、なにも言いませんでした。
なにも言わなくてそれがあってるのか間違ってるのかわかりませんでした。いまも知りません。

キャンバスというものを買ってこいと言われ、吉祥寺のユザワヤに行きました。
袋に入らなかったので、手もちで持って帰ったのですが、なんだかかっこいい気がして、電車で「わたし絵 描きです」みたいなオーラを出して家に帰りました。
ギターをもつバンドマンに憧れるやつと同じです。
わたしは、絵なんて描けませんしギターも弾けません。だけど、それを背負ったり手に持ったりはできまし た。それはすごく周りを気にしていた性格もあり、いまとあまり変わらないなと思います。

キャンバスというものを、なんとかっていう木のたてるやつにのせて、瓶か何かを描きました。
ぜんぜん立体に描けなくて、そこで初めて影の付け方を教わりました。
ものすごく黒を物体の下に塗って、これでもかってくらい塗って、だけどそれが立体に見えて、うわすげー と思いました。
このときは16才です。

高校で美術は終わり、音楽にはまって、バンドをしていました。
卒業して、音響さんになりたいと思い専門に入学しました。
そこでは一切、美術に触れませんでした。

そのまま、イベント系の会社に就職しました。
惰性で音楽を続けていて、なんとなく灰色な日々でした。
ある日のこと、ライブハウスで美大生と会いました。 その時は、美大生って?みたいな、印象でした。
大学に通ってなかったので、美大という言葉すら知りませんでした。

その子は、路上をやっていました。
わたしはずっと音楽が好きで、灰色の日々だったので、刺激を求めていました。
その路上に付き合うことにしました。
渋谷に23時集合ね!と言われ、わたしはフリスクを食べながら待ち合わせ場所へ向かいました。

渋谷なんか大嫌いで、人混みなんて大嫌いで、町田市民のわたしは渋谷なんか乗り換えでしかきたことあり ませんでした。
そこに、夜通し、終電後、路上するぞ!っていうものだから、わたしは怯えました。

しかし、こんな面白い人が、刺激を与えてくれるかもという期待があり、わたしは見ず知らずの美大生と渋 谷でサバイバルをしました。

渋谷は思った通り、絶妙に危なくて、身の危険をずっと感じてました。
だけどそれ以上に感じたことのない空気や、経験がわたしを満たしていきました。
路上なので、投げ銭をもらいました。 それら全てが、新しくて、刺激的で、とっても面白いと感じました。

この時は22才です。

そんなことをしているうちに、芸術祭というものに呼ばれることになりました。
わたしは、なにも知らないし、なにもできないとものすごく怯えていました。

芸術祭っていうんだから、みんなアーティストでみんなかっこよくて、みんなすごい人なんだってずっと考 えてました。
案の定、行ったさきの芸術祭はいわゆるアートであふれていて、言葉がうまく出ませんでした。
周りの人間にナメられてたまるかと思い、わたしは気取っていました。
変な行動をしたり、変なことを言ったりしました。
周りはなにも言いませんでした。

初めての芸術祭は、廃校で行われていました。
レジデンスといって、そこで滞在しながら作品を作りました。
作るといっても、わたしは参加作家ではなく、参加作家に呼ばれていったオプションみたいな感じでした。
わたしのやることは、パフォーマンスでした。
イベントの最終日に企画があり、そこに参加するのが目的でした。
滞在期間中は、内容をねって考えていました。

それは、わたしはいわゆる一般人だったので、なにも知らなかったです。
ごはんも、お風呂も、ここにいる人がどういう人なのかも。
誰もなにも説明してくれませんでした。
いや聞けよって思うのですが、知らないところで知らない人だらけで、ぐいぐい行く性格じゃないわたし は、それは難易度が高過ぎて、なにもできませんでした。

泊まるところがある、って聞くと、お部屋があって、布団があってっていうのが当たり前だと思ってまし た。
ごはんだって出るものだと思ってました。

しかし、そんなものはなく、コンビニすら歩いて1時間かかるところにありました。
会場が山の中だったので、携帯の電波もなく、街灯もほぼなく、夜は真っ暗でした。

唯一布団はあったので、確保して、空き部屋で寝ていました。
この時は、あまりにもしんどかったので、なにをしていたかあまり覚えていません。

そこでようやく知りました。
アートというものは、お金持ちの娯楽だと思っていました。
アーティストもお金持ちで、みんな好きなことだけしてるんだなと思っていました。

それは間違いでした。
みんな必死でなにかをやっていて、自分をしっかり出さないとそれは見られないし、好きなことだけやって いちゃなにもできないし、そもそも生きることに必死で大変だ。
いや、これは偏見なのかもしれないのですが。

全くアートに触れてこなかった人間が、アートに踏み入れてってことたくさんあると思います。
でもそれは、やりたいことがしっかりしていて、自分自身がしっかりしている人です。
わたしみたいに、なんかたどり着いたみたいな人ってどのくらいいるんでしょうかね。
それは、目的があって、やりたいからこうなったっていうか。
たまたまここに着いてしまったみたいな人。

流れ着いたら、みんなカタカナを使う人ばかりで、なに言ってるかわからなくて。
怒りもしないし、理解できなかったらもう終わりみたいな。

なんでこんな思いしているか、もうわからなくなってしまいました。
だけど、本当は好きです。
好きというのは、アートじゃなくて、自分を出してそれを面白いって言ってくれる人がいることです。
たまたまアートって言われるだけで、わたしはわたしでわたしなのです。
アートなんか好きじゃないです。
わたしは、わたしのやりたいことをやるっていうだけです。
食べたいものを食べて、寝たいときに寝るだけです。

それをいいねって言ってくれる人がアート現場に多いのは確かです。
わたしはなにと戦っているんだ。


UPDATE : 2020.05.08
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このよ。
なかやましょうご。(このよのはる)

1992年東京都町田市生まれ育ち。
2015年から、うたっておどれる似顔絵師 このよのはる のバケツパーカスとしてバケツを叩いてる。
好きなものは音楽と楽しいこと。

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